Essay


  • 書評:マイケル・オンダーチェ著『アニルの亡霊』(新潮社刊)

    前半のかなりの部分が寸断されたような物語なので、ストーリーに沿ってつづられているのか、いないのか、わからない不安をかかえたまま夜の暗がりへ連れ込まれてゆく。あるときはその湿った夜の森の古代遺跡の遺構から、またはコロンボの埠頭に係留された船の船倉の暗がりから、登場人物が立ち現れては影を潜め、目まぐるしく入れ代わる。ときには山の石窟や菩提樹の大木の葉陰に姿を見せては消える。そこかしこに、ひたひたと忍び寄る暗闇と 濃密な湿度を感じないではいられない。まるで暗く湿った、むせ返るような部屋で投影された写真のスライドを見ているようだ。カチャ、カチャと音を立てながら写真が入れかわるように場面が変わり、時代が変わる。行きつ戻りつしながら変化しつづける。

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  • バンコク

    チャオプラヤ河へ注ぎ込む、幾筋もの水路のどこかで見た気がする。そのときまだ小学の2年生だったから、ほんとうのところその看板の大きさがどのくらいのものだったかわからないが、とにかく見たことがないほどの巨大なものだった。10メートル四方とか10数メートル四方の看板が水路のほとりに立っていた。ひとの記憶というものは、曖昧でたよりのないものであるが、ある事柄だけ不思議なくらいに鮮明に憶えていることがある。40年もまえの古い話になるが、父に連れられて僕はバンコクに来た。日本から来たのではなく、父の故国である日本にゆくために、生まれ育ったタイの東北地方からバンコクに来たのだった。夜行列車で夜明け前のバンコクのどこかの駅に着いて、サムロと言われている三輪車のタクシーに乗り込んだ。走り出してほどなく、湾曲した水路に沿った道の向こうに、白い壁のようなものが朝日を浴びて金色に輝いていた。窓のない吹きさらしの車内から見上げると、流れ去る何かの樹の、枝ぶりがそろった並木で見えかくれしながら輝度を増して、その全体像が現れたときには午後のような眩い日をうけて青い空を背にそびえていた。白地の中央に真っ赤な字で〈味の素〉と、なにかの模様のように描いてあった。それを読んで理解することができない僕に父は指をさして、「日本だ」と言った気がする。はじめて見る日本だ。あのとき、確かに僕が見たのはバンコクにちがいないが、もしかしたら、それは数日後に降り立った東京だったかと思うこともある。

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  • 東北タイの風景

    バンコクのホランポーン中央駅は、どことなく上野駅に似ている。高いドームの屋根が駅のロビーを覆い、広い待合い室はいつも、大きな荷物を抱えた乗客でごった返している。そして東北本線のように、南下してきた線路がそのロビーで途絶え、列車が到着するたびに、日に焼けた東北地方からの乗客がそのホームに降り立つ。するとバンコクとはちがうイサーン(タイ東北地方)の言葉が ドームに響きわたり、動く群衆とともに渦を巻きながら街へ流れ出てゆく。イサーンの人々が通り過ぎた後、構内の床のそこかしこが赤く染まった。ほんのりと赤らんだ床を歩き、客車が連なるホームに近づくにつれて滑って歩きにくくなるほど、辺りは赤い土で覆われている。客車の車体を撫でると、細かな赤い粒子が汗ばんだ指に引っ付いた。車体全体が赤い土をかぶっている。それは、季節はずれに屋根に雪を乗せて上野駅に滑り込む東北本線のようだ。

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  • 写真への旅……バンコク、ハノイ、福島、東京

    記憶の最初のはじまりがどの場面からはじまったのか、僕は僕なりにはっきりと憶えている。間違いなく、あの目がくらむほどの、強い日差しが降り注ぐ午後の通りをぼんやりと眺めていた。行き交う人影さえなく、街は死んだようにただ日に晒されていた。そんな時間がとまってしまったような光景を、僕はたった一人で眺めていた気がする。温かいミルクが入った、ガラスのほ乳ビンをくわえながら、それを両手で抱えていた。飲み終えるまで、そのほ乳ビンをずっと持っていられなくて、休み休み手を離すと、はだけた胸に人肌より幾分熱く感じられるビンが触れて、呆然と午後の街を眺めながらふと我に返ったものだった。ほ乳ビンのガラス越しに、通りの眩いばかりの午後が白いミルクのなかに沈み込んだり、濡れて歪んで見えたりしながら、僕はいつの間にか眠り込んでしまった。

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  • 少女のマジック

    このところベトナムのハノイに行くことが度々ある。おもに雑誌の企画などで撮影に行くのだが、宿泊先は決まって湖にほど近い旧市街だ。おそらく何百年もの昔から街の中心であったに違いない、ホアンキエムという楕円形をさらに細長くしたような湖がある。周囲1キロメートルほどの湖畔には、巨木になってしまった木々がその湖を取り囲むように立ち並び、湖面にせり出すように大きく枝をのばして、濃い影を落としている。春には火焔樹の太い枝が、赤い花をつけたまま水の中に潜っているところもある。日が傾くころ、木々の影が水面に長くのびて、さざ波に揺れながら湖に映り込む赤らんだ空に溶け込んで見えなくなる。夕刻になると毎日のように大勢の市民が長い影を引き連れてそこにやって来る。老人や子ども、恋人たち、それに靴磨きや絵はがきを売る少年、ドル札をベトナムの通貨に両替してまわる少女たちとその母親、それに今となっては骨董品と言ってもいいような年代モノのカメラをぶら下げた写真師もいる。まだそう多くはない観光客を相手に商売をしているのだ。湖畔の賑わいは暮れてもなお、笑い声が絶えず、木々の枝に絡ませた電飾が点いたり消えたりしながら、暗い湖面を彩る。対岸に街灯が連なり並んでいることさえ僕には不思議でならない。あのときと同じ街にいる気がどうしてもしないのだ。

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  • 田園の村、米の国

    風に吹かれてうねる穂波が眼に眩しい。瑞々しい田園の風景は途切れることなく、北部の山裾から二千キロメートルも離れた南部のメコンデルタまでつづいている。南北をつなぐただ一本の鉄道の車窓からは、右側にも左側にもその青々とした稲穂がすぐそこに広がり、その稲穂の一粒一粒が見える気さえする。田植えをしているすぐ横で稲を刈っている人がいる。土を掘り起こして苗床を作っているのか、水牛を操りながら泥だらけの少年が手を休めて、僕がいる列車に手を振っていた。何と豊かなんだろう。年に二度も三度も米が穫れるという。稲穂さえ蒔けば、見ているそばから実るのではないかとさえ思えてしまうような光景だ。

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  • 夏が来れば思い出すのははるかな空や野の小道ではなく、水芭蕉でもない。土手の片隅であり畑のはずれの草むらでもある、なんともいいようのない場所に咲いていた 白ゆりの白い花をぼくは思い出す。その白ゆりとおなじ背丈の少年だった。日をいっぱいに浴びたままたたずみ、揺れるその白ゆりが見ていたのは、たしかにそこに在った野の小道だったにちがいない。土手の斜面のうえに青い空も見えていた。なんでだれもいないそんなところで咲いているの、と訊いてみたかった。遠くの河原ではしゃぐこどもの声も 蝉の鳴き声もしない静まりかえった野原に、午後の日が容赦なく降りそそいでいた。

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  • 北上して

    東北自動車道路を時速140キロで北上して行くと、1時間ほどで風景が一変する。大気そのものがちがって感じられ、宇都宮を過ぎたあたりにさしかかると、ぼくは決まって、東京からの冷房で冷えきった車内の空気を、追い出すように車の窓を全開にする。すると、湿った生暖かい空気が一気に吹き込み、乾いた肌をべとつかせた。

    太平洋沿岸を北上する台風9号に追われて、いま走っていることに気がついた。熱帯から運ばれてきた南国の匂いなのか、それともそこここに生い茂る夏草の草いきれなのか、その密度ある匂い、夏の匂いに息をつまらせた。遠くの山々の背景に夏の空と雲が湧きあがっている。そこに強い日差しが当たっているにもかかわらず、突如としてワイパーもきかないほどの豪雨のなかに突入したり、数分もすれば、それがまるでウソだったかのように乾ききった路面に戻っている。車は走りつづけている。フロントガラス越しに、青々とした田畑が広がっている。もくもくと沸き上がる真っ白な入道雲とそのはるか上空に飛行機雲が一直線にのびて散りかけているのが見え、同時にバックミラーを覗くと黒々した雨雲が遠ざかって、もう秋なのかまだ夏の盛りなのかわからなくなる。車内に吹き込み渦巻いている風さえ夏のものとも秋のものとも感じられ、季節の変わり目のまさに最前線にいる気がした。3月に父が亡くなるまでのひと月とそれからの四十九日までの間、毎週のようにぼくは実家がある福島に往復していた。冬から春へ、そして夏へと移り行く季節を疾走する車から眺めた。

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  • 東京、山手の夜

    大宮駅を出ると、特急列車は一瞬加速するかに思えたが、ゆるいスピードのまま、車窓の両側に広がる住宅の屋根の瓦のひとつ一つが見えるほどの速度で都心に滑り込む。いつも胸が高ぶり緊張する瞬間だ。田端駅を通過するころだろうか、まもなく上野に到着するとのアナウンスが流れると、僕の緊張は一気に頂点に達する。動悸がして手のひらはきまって汗ばんだ。新幹線がまだ開通していない時代のことで、線路が上野駅の広小路口に面する広場で断ち切れる。まさに終着駅だった。

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  • 10才の誕生日

    手帳に〈6時〉と書いてあり、わざわざ丸印をつけているのに、他に何も書いていなかったから、誰との約束だったかどうしても思い出せなかった。その2、3日前から、心当たりのある知人に電話で聴いたり、仕事の約束だと迷惑をかけてしまうからと、主だった仕事先に訊ねたりしたが、ついにわからないままその日が来てしまった。名前とか場所とか、何か手がかりになるものを書いておくべきだった。その日になってもそのことが気になって、何度も手帳をめくるが、結局思い出せなかった。

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