東京見物

Essay

田舎からはじめて上京したとき、眼に入るもの何もかもが新鮮で、東京の街が光り輝いていたのを今も忘れない。空はいつも青空だつたような気がする。池袋の夜も新宿歌舞伎町のコマ劇場の前の噴水もネオンライトに照らされて、それを眺める自分の身体も赤く青く染められ、融けて街そのものになっていったものだ。

アジアを旅することが多いためか、外国の友人といえばほとんどがアジアの人たちで、とくにタイの友人と交流がある。来日してくる友人には一応行きたいところを あらかじめ訊くようにしているが、皆が口をそろえて「デズニーランドに行きたい」というものだから、必ずつき合わされてしまう。

一方、ほかに行きたいところはたいしてないようで、僕がかってにコースを決めて連れ回すことになる。そこで決まって山手線を利用することにしている。まず東京駅に行き、入場券を買って新幹線のホームに上がり、ジェット機のように鼻先の長い最新型の新幹線がホームに入るところを見せる。ここでほとんどの友人が驚くのを僕は知っている。車内の掃除が終わり、出発するまでの数分間に乗客に混じって乗り込み、席に座ったり洗面台やトイレの使い方、電話のある場所やかけ方を教えてあげるのだ。それは東京見物のあと京都に行く人が多いから、困らないようにと説明するのだが、これは役にたつらしい。そのとき、45分ほどしたら右側に富士山が見えるから注意して見るようにと忘れずに付け加えなければならない。そして発車のベルでホームに降り、滑るように出て行く華麗な姿を皆で眺めるのだ。

次に京葉線の地下ホームからデズニーランドに向かうのだが、もう何度も見ているから入口のゲートまで案内し、相手が複数ならかってに遊んでもらって僕は一足先に仕事場がある四谷に戻る。飽きて早々に戻って来る者もいれば夕刻まで楽しむ友人もいるが、とにかく東京駅の山手線のホームまで戻ってもらい、電話を受けて迎えに行くことにしている。そして新宿に向かい都庁の展望室に上る。細々としたビルがびっしりと詰まった荒野、あるいは東京砂漠に案内すれば前川清の声が耳もとにいつまでも残って離れない。バンコクにはチャオプラヤ河が悠々と流れているが、東京ではもうじき日が暮れて、ネオンの色とりどりの河が流れるのを顔をガラス窓に押しあてて待つのだ。

歌舞伎町が間近に見える。赤い灯青い灯、街がざわめいていたあのころに皆を連れて行こう。さあ、繰り出そうか。橋を渡ると、土手の裾からすぐに田んぼがはじまり、目に眩しいほどの緑が見渡すかぎりつづいていた。土手の斜面にさえトウモロコシやカボチャの蔓が伸び、水路には自然に空芯菜が葉を出している。稲も見ているそのまえで実り、すぐにも米になる気さえした。

パチンコ屋の地下のストリップ劇場の湿度は、アジアのウェットな気候より濡れて、見る者に絡みついて離れない。笑い飛ばしてしまうバンコクのストリッパーの仕草とちがい、そこここに零れ出る物語が感動と涙を誘って、みだれた着物の裾になじめての日本を見る。そして東京は砂漠でも殺伐とした荒野でもなく海の底だったことを知るのだ。そこは海底への入口でその奥にゴールデン街がちまちまと並び、ここがほんとうに東京かと皆が驚く。その辺で夜更けまで飲めば、どこへも海流が通じている。オカマバー、ホストクラブ、どれもこれもバンコクにあるが、何かがちがう。軒を摺り合わすゴールデン街の狭さ、映画のセットのような佇まいがいいと皆が言う。

(初出:『東京人』)