バンコクのホランポーン中央駅は、どことなく上野駅に似ている。高いドームの屋根が駅のロビーを覆い、広い待合い室はいつも、大きな荷物を抱えた乗客でごった返している。そして東北本線のように、南下してきた線路がそのロビーで途絶え、列車が到着するたびに、日に焼けた東北地方からの乗客がそのホームに降り立つ。するとバンコクとはちがうイサーン(タイ東北地方)の言葉が ドームに響きわたり、動く群衆とともに渦を巻きながら街へ流れ出てゆく。イサーンの人々が通り過ぎた後、構内の床のそこかしこが赤く染まった。ほんのりと赤らんだ床を歩き、客車が連なるホームに近づくにつれて滑って歩きにくくなるほど、辺りは赤い土で覆われている。客車の車体を撫でると、細かな赤い粒子が汗ばんだ指に引っ付いた。車体全体が赤い土をかぶっている。それは、季節はずれに屋根に雪を乗せて上野駅に滑り込む東北本線のようだ。
僕はバンコクを訪れるたびにその列車に乗って、ウドーンターニ市に行く。8時間ほどかけて、仙台や青森にでも出かけるように北上してイサーンをめざす。故郷に帰るのだ。日を浴びて青々と輝く一面の田んぼの中を貫いて列車は走る。線路の両側に沿った水路にハスが自生し、水面に突き出たその白や赤紫の花が、車窓のすぐそこの、流れ去る田園風景の中で見えたり見えなかったりしながら、僕にとっての記憶の街へと連れて行ってくれるのだ。いや、連れもどされているのかもしれない。
少年が腰まで水に浸かって魚を捕っている。そばでその少年が連れてきた水牛が何頭か、水の中に寝そべり畦の草をはんでいる。どこへ通じているのか、田んぼの切れ目に真っ赤な小道が稲の穂先に見え隠れしながら、こんもりとした彼方の森へ消えた。あの赤い土だ。稲株のすき間に、見ようとすれば見える気がするあの赤い土にいつも、眼を奪われ胸をしめつけられて、僕ははやる気をひとり抑えている。車内の床に眼を落とせば、その赤い土の粉が零れたように散らばり、板のすき間を埋めていた。土の乾いた匂いがそこここに漂っている。
記憶の街、ウドーンターニはすぐそこだ。そこは赤い大地を覆いつくした青々とした水田に浮かぶ赤土の街だ。ウドーンターニに生まれて、僕は少年時代をその街で過ごした。学校の庭も公園も、そして家のまわりの小道もむき出しの土で赤く染まっていた。どこへ行くにも赤土が纏わりついてきた。赤土の大地の色はさらに北上しナーンカーイに達して、いっそう赤くなってラオスとの国境になっている メコン河をも染めている。そして眼を凝らせば、メコンの向こう岸の密林に分け入った視線の先の先に、色鮮やかな赤い日向が見える。記憶のはじまりの瞬間に、あの赤い日向がぼんやり見えていた気がしてならない。
(初出:『週間朝日百科』)