森山大道 大阪国立美術館

Essay

神田川を見下ろしながら、ふたり電車を待つ。
 深い川床を流れる水面は暗く、その水音も聴こえては来なかったが、お茶の水駅のホームには、眼下からわき上がって来た春の水の匂いが、辺りに溢れていたのを忘れられない。午後9時、写真学校のゼミの帰り、横浜から学校に通っていた僕は、逗子に帰える森山大道さんといつも一緒にこのお茶の水駅で電車を待ち、東京駅で横須賀線に乗り換えた。同乗した30分の間、ボックス席で向かい合わせに座り、僕は目の前の写真家を不思議そうに眺めていた。沿線の桜が、電車内の灯りを受けながら夜の暗がりに浮かんでは消えて、また浮かびあがっていた。写真家とはいったい何者なのか?これから写真に飛び込もうとする僕にとって、言いようのない不安ばかりが募ったものだ。


 二十歳で上京し、写真を始めることとなった僕には、写真学校のゼミでの森山大道さんとの出会いはとても幸運なことだった。30数年前のことだ。それがこんなにも長きにわたってお付き合いをするようになり、自分の人生を大きく方向づけることになるとは、思いも寄らなかった。森山さんは35歳だった。
 父が写真館を営んでいて、長男である僕は写真学校で勉強し、いずれ帰郷して写真館を継ぐつもりでいた。写真の勉強とは写真館の写真で、ポートレートや集合写真などの営業写真であった。写真館に生まれ、物心ついたときから父の仕事を見ていた。客が来ると2階にあるスタジオに連れてゆき、証明写真や七五三、お見合い写真など注文に応じて写真を撮る。ときにネガを細い鉛筆で修正しては、暗室に入ってプリントをしていた。僕にとって写真とはそういうもので、それ以外のことは考えてもみたことがなかった。
 しかし、写真学校で出会った森山さんはそれとはまったく違っていて、写真家とはいったい何をするのか理解できずにいたのだ。街をうろついて撮った写真に何の意味があって、どうやって生活してゆくのかさっぱりわからなかった。「森山さん、写真って何ですか?」と訊いたほどで、そのことを森山さんは今も憶えていて、僕は当時を思い出すたびに赤面してしまう。
 得体の知れない写真ではあったが、森山さんに接するうちにいつかしら写真に魅了されていた。自分の知らない、まったく違う世界があるに違いない。学校を卒業しても森山さんが運営していたCAMPというギャラリーに出入りしたり、そこで開催されていた写真塾に参加しながら、一方ではジャンル違いのファッションや広告写真家の助手をするようになっていた。上京して5年にもなっていた。依然として先が見えない中、森山さんを真似るように僕は街に出ては写真を撮っていた。先は見えないが、師と仰ぐ人が毎日毎日こんなにも写真を撮っているのには何かあるはずだと納得したものだ。
 ある夏の夕暮れ、森山さんに呼び止められた。
話があるからと2階にあったCAMPの階段を降り、下から3段ほどの入り口付近に並んで座った。路地を通り抜ける風が、ふたりの間をすり抜けて階段をかけ上がっていた。助手を募集しているところがあるが、どうかと言う。君にピッタリだともいい、連絡先のメモを渡された。
「コマーシャル写真の事務所だけど、そこに写真家の深瀬昌久さんもいるし、ちゃんと広告をやるのもいいと思うけど・・・」そんな風に言われた気がする。街の写真ばかり撮っている森山さんが、コマーシャル写真の事務所を紹介するとは意外だったが、僕は何の疑いもなくその言葉を信じた。そして、たぶんその翌日には面接に訪ね、その日から仕事をすることになったのだった。深瀬さんがニコンサロンで展示する写真をプリントしていて、すぐに暗室の隅で手伝うという、信じがたいことだった。  それからの3年間は、助手としての修行で多忙をきわめ森山さんとは疎遠になっていたが、代わって、深瀬さんとは親密に写真の付き合いをするようになっていた。深瀬さんも写真館の出で、その1点において僕を可愛がってくれたのだった。それでも折々に森山さんに連絡をとっては写真を見てもらった。僕が呼び出したにもかかわらず、いつもコーヒーをごちそうしてくれて、会えば不思議に元気が出たものだ。
 森山さんに出会い深瀬さんに出会って、幸か不幸か僕は、写真館を継ぐことをあきらめ父を悲しませたが、迷わず写真家になることを決意した。このふたりについて行こうと決めたのだった。
 森山さんから写真を教わったという実感がない。接しているうちに森山さんの写真に魅了され、その懐に引き込まれたのではないかと思っている。むしろ教わったといえば、それは歌だった気がしている。ゴールデン街で飲みながら、森山さんはよく古い歌を歌ってくれた。これも教わったというより、聴いているうちに歌えるようになったようなもので、僕は、見えないヴィルスに感染したのではと思っている。それは、M型写真ヴィルスだ。Mは森山のMだ。20歳のときに森山さんに不意に出会い感染してしまったのだ。そして、それから数年後に深瀬さんに出会って、暗室の暗がりで感染した。F型写真ヴィルスだ。偶然にも、このふたつのヴィルスは日本を代表する写真ヴィルスだ。MとFのふたつの型の強力なヴィルスを持ち合わせてしまったことを誇りに思い、いつか僕はこのふたつのヴィルスをミックスしてより感染力の強いS型に変異させたいと願っている。