M型写真ヴィールス

フットスイッチを踏むと印画紙に画像が投影された。画面いっぱいに、何かの花が反転されて映し出されている。白い花だ。白いはずの花びらが、紙のうえでくっきりとした影となって黒々としている。そして、その花影から光が光そのものとして零れていた。

20年ほど前の夏のことだ。

僕の仕事場の、バスルームを改良した狭い暗室の暗がりでふたり並んで、僕が印画紙に露光し、それを森山さんが現像していた。ふつうは逆だ。露光のほうが大事だから、森山さん本人が露光をして、アシストする者が現像をするものだ。どうしてそうだったのか思い出せないが、確かに僕は森山さんのネガをセットして露光をしていた。

森山さんと暗室に入るのがはじめてのことで、何秒間露光をすればいいのかわからず、かと言って森山さんに聞いても、撮り下ろしたばかりの写真をはじめて引き伸ばすわけだから見当もつかないと言う。そこで1枚テストをすることにしたのだ。白い花の、濃いネガではあったが、僕には使い慣れた引き伸ばし機だから、おおよその見当がついていた。光を当てながら、声にしないで1、2、3秒とゆっくり数えはじめた。森山さんは暗がりでタバコを吸っている。吸うたびにタバコの火が仄かに光って、暗がりが呼吸でもしているかのように、赤く染まってはもとの暗さに戻っていった。ふと目をやると、燃えるタバコの火に顔を赤らめて、森山さんが煙をもてあそんでいた。

僕は30秒ほどで勝手にスイッチを切った。そして露光時間の判断として確信していて、イーゼルから印画紙を取りだそうとしたとき、暗がりで声がした。
「まだ……」森山さんの低い声が「もっと、もっとだね……」と、暗がりで響いた。
森山さんも数えていたのだ。任されていたとばかり思っていた僕は、ハッとして、慌ててまたスイッチを踏んだのだった。50秒、60秒……写真がますます黒くなってゆくような気がして落ち着かないまま、1分20、21、22秒と、数えつづけた。白い花はもう黒くなっているに違いないと、気が気でならなかった。

夏の盛りの、燃えるような西日に晒されたモルタルの壁、その数センチ内側の暗がりで、僕は光を恐れるように秒単位の時間を気にしていた。しかし、白い夏の花は、まだ光を欲しているようで、わずかにその輪郭を見せただけだった。
「何の花ですか?」
「ボタンか、シャクヤクかなあ」
翌月の「写真時代」に掲載された新作の「光と影」の1枚だった。
暗がりでの会話がいつまでも記憶に残るのは、声が拡散しないまま体内に染みいるからに違いない。

そのとき以来、何度か折りにふれて暗室に立ち会わせてもらったり、撮影に同行したが、森山さんから具体的に写真を教わった記憶がない。どこかへ行く時に運転したり、お茶を飲んだり、時に飲みに連れていってもらっては、とりとめのない話をしていただけだ。何かが気になると、歩み寄ってはシャッターを切るその姿ばかり見て来た気がする。そして後日、あの時の写真がこんな風に写っている、とひとり確かめるように眺めたものだ。

そもそも写真は人に教えることなどできない。生まれながらに持ち合わせたその人のセンスと出会いだ。

僕は森山さんのそばにいて、その息を吸い、その言葉を聴いたりしながら、その立ち振る舞いを見ているうちに、写真という病気に感染していった気がしてる。森山さんの後を歩きながら、ふと髪を撫で上げるその姿を見たときだったのか、暗室の暗がりだったか憶えてはいないが、確かに僕が最初に感染したのは、そのM型写真ヴィールスだった。

当時から日本には三種類の写真ヴィールスがあった。T型とM型、そしてF型だ。T型はそれ自体感染しにくいが、人によっては遺伝子が合致して、その体内で変質して猛毒になる。M型もF型も、1960年代の終わりにそのT型に感染して変異した結果だ。F型は見るからに毒だから、今でも誰も近寄らない。そして森山さんのM型は、見ただけで誰もが感染してしまい、広まっていったのだ。見ようとすれば、森山大道はどこからも見える。

写真を撮ることは、僕にとって自分の体内にあるその三種の写真ヴィールスの毒性について考えることだと思っている。T型とM型とF型の遺伝子を組み替えて、別の毒性をもった、新種のS型をつくり出そうと実験をくり返している。

僕らが運営しているギャラリー〈PLACE M〉はその実験室であり、〈PLACE M〉のMは、M型ヴィールスだ。そこで開催している写真ワークショップは、M型ヴィールスに感染したあのころに立ち帰っての、若き写真家とのとりとめのない対話の場だ。森山さんが、気づいて欲しくて語ってくれた、写真のあれこれを僕はもう1度くり返している。写真の系譜をいまだ信じながら、その変異に期待している。

未だ見ぬ、新たなるもう1枚の写真は、水に濡れたまま、いつも暗がりで泳いでいる。

(初出:『コヨーテ』2004年創刊号)