船の旅

月が眼下にぽっかりと浮かんでいた。果たしてそれが月なのかと思う間もなく、その明かりは何かの蔭に滑り込むようにして消え、眺めていた下界は瞬時に暗闇になった。それまで見えていたものが見あたらないと、どことなく不安になり茫漠としたその暗がりに眼を凝らした。午後六時にバンコクを飛び立ったタイ航空、TG305便に僕は乗っていた。夕日を追いかけるように西の空を目指して飛び立ったが、追いつけないままどっぷりと暮れた ヤンゴンの暗がりに着陸しようとしていた。 額を押しつけ、丸窓に映る機内の照明を両の手や腕で遮りながら、月をさがした。下に見えかくれしているのが月の明かりならば、頭上には輝いている月そのものがあるはずだと思い、見上げるものの窓の縁がじゃまをしてその姿を見ることができなかった。地上の暗闇に街明かりか家々の小さな明かりでもないかと探し見るが、ほんのりと暮れ残った空の赤みが、漆黒の下界のところどころに滲んでいるだけだった。

飛行機は旋回しながらゆっくりと降下してゆく。まるで何もない原野にでも降りてゆくようだった。やがて機内の照明が落とされると、窓の外から月明かりが射しているのにはじめて気づくのだった。そして黒々とした何かの蔭からゆっくりとその姿をもう一度見せた。満月だ。丸い月がゆらゆら揺れている。水に映り込んで浮かんでいる。下界が明るい夜だった。幾筋もの河が、葉脈のように絡み合いながら暗がりのなかに浮かび上がっては消え、月が現れるとまたその輪郭をくっきり覗かせる。下界は頭上の月とそれが映る水辺の月明かりで満たされていたのだ。

僕はチベットや中国の山々から流れてきた河が、海に注ぎ込む直前のちょうどこの眼下のヤンゴンあたりで無数の支流に分かれるさまを想像していた。青々とした瑞々しい水田地帯が広がっているにちがいない。

何年かまえに、隣国のバングラディシュに行ったことがある。そのときもバンコクを経ってほぼ同じルートを飛んでいたように思う。いや、もっと南の海上だった。というのも右手の北側にあたる方角に 広大なデルタ地帯が雲間に見えかくれしていた。飛んでる時間からしても方角からしてもちょうどヤンゴンの南にちがいなかった。アンダマン海とインドシナ半島からのびる、地図そのままのくっきりとした陸地の境界線が、その辺りできれぎれに途絶え、不鮮明になっているのが遠くに見えていた。見ようとすれば、海との境に浮かぶ無数の島々か水没した水田のようにも見えた。僕は思い描いていたその風景を間近に見たいとかねかね思っていたのだった。

翌日、空路でバガンへ行くことになっていた。しかし、まだ暗い早朝のフライトだったから、あの水田が広がるデルタを見ることができなかった。昨夜降りた夜のヤンゴンからそのまま飛び立ったようなもので、 星空と刻々と明ける朝焼けの両方を見ながら離陸していった。月はどこへ行ったのやら、もう見あたらない。僕は相も変わらず、子どもみたいに窓に額を押しつけて、ゆっくりと流れる地表を眺めていた。 むき出しの赤い土の道が山裾にそって伸びていた。右手の彼方に隣国タイとの国境の険しい山並みが見えていた。タイ側から見た同じ山々とは思えないほど、押し寄せる波のように幾重にも折り重なって、そのまま海まで連なっていた。そして一方で、その山裾からはじまる広大な平野がアンダマン海に潜り込むまで広がり、不規則に蛇行する川筋が絡まりながら、地図そのままのデルタの風景となっていた。

半世紀まえに、タイからそれらの山々を歩いて越えてきた日本軍、何万人かが眼下の河を渡るようすを僕は想像していた。「映画の『戦場に架ける橋』は見ましたか?」隣の席で、不思議な響きのする日本語が聞こえた。ガイドのチョーさんだった。「あの辺りです。タイとの国境にもなっているクワイ河」渓谷に架かる橋が連合軍に爆破されるシーンを思い浮かべながら、彼が指す後方の、実際には爆破されずに開通したその橋がある山々に眼を凝らした。山間や密林と思われる茂みのところどころに霧が溜まっていた。「昨夜、バガンは雨だったようです、乾期に入っているのに珍しいですね」チョーさんがそう言う間に、機は厚い雲に沈み込み何も見えなくなった。そして間近に霞んで見えるヤシの林に滑り込んだ。

***

明けきらない雨期のむっとするような湿気のなかを 僕たちのバスは走っていた。世界遺産になっているバガンのパゴダを見ずに、最初の目的地であるメッティーラへ向かったのだった。 僕ははじめて地図を広げた。いつも旅をするときは、その行く先の街々のようすを調べて予備知識をもって行くのではなく、あえて知らずに勝手に想像しながら旅をしている。不安を感じながらも、未知の街角を思い描けば、行く先々が新鮮に感じられる気がしている。なるべく行き当たりばったりがいいと思っている。ガイドブックに案内してもらうのではなく、街やそこにいる人々に連れられ、その後をついて行くのがいい。そして旅程の残りが見えたころに、はじめて地図を広げるのだ。そのとき、思い描いたことと実際に出会ったことが、地図の上でくっきりと浮かび上がりいつまでも記憶に残るだろう。

今回は早々に地図を開けてしまった。どこへ連れられてゆくのか、説明をうけるものの一向に理解できず不安だったのだ。僕はバスの後方に座っていた。黒い袈裟を着たお坊さん、十数人の丸い頭がずらりと並んでいた。なんとも異様な光景だ、と思っているといつの間にか隣席に若い女性と その上司と思われる男性が座っているのに気づき、僕はふたりの会話に耳を傾けていた。看護婦、小児病院、診療所、学校、プロジェクト、ボランティア、NGO、AMDA(アムダ)、そんな言葉を耳にしながら、わかったりわからなかったりする会話に聞き入っていた。 そして前方に並ぶ〈アジア仏教徒協会〉の一行と どんな関係にあるのかと考えていた。

僕は〈アジア仏教徒協会〉の一行に同行させてもらい、メッティーラに来たのだった。かつて日本軍が激戦の末に全滅した戦地だ。日本兵だけでなく、敵味方なくそこに眠る何万という戦争の犠牲者を慰霊し、平和を祈願するためにミャンマーと〈アジア仏教徒協会〉の共同事業で、20年かけて建立されたパゴダの 祈念法要がとり行われるということだった。折しも、パゴダや寺院、民家などに何百何千ものロウソクが灯され、雨期明けをつげる〈燈明祭り〉とも重なり、湖に隣接するそのパゴダは無数の灯に照らされ、金色に輝いていた。ふと夜空を見上げると、大きな月がぽっかりと浮かんでいた。昨夜ではなく、今夜こそが満月だったのだ。パゴダのそこここに立ちのぼり、そこかしこに零れて散らばる香の匂いを嗅いでいると、満月の夜の〈火祭り〉に酔いしれてしまいそうになる。 四月の〈水祭り〉も、五月の〈花祭り〉も満月の日に行われるという。 月と水と花、そして雨期の三ヶ月の間に天上界で休息されている仏陀が、下界に降りて来られるその日、迷わないようにと無数の灯りで迎える。なんと敬虔なひとびとだろうか。

その夜、上空から見下ろせば無数の家々を取り囲むロウソクの灯りで、仏の国は燃えるように浮かび上がっていたことだろう。それでも仏陀は迷わずそれぞれの家に帰って来れるのだろうか。パゴダはどこにもある。大小さまざまだ。街のなか、街をはずれた街道筋、山の上、丘の上、どこにも建っている。池の水のなかにさえ建っている。そのどれも辺りに花と香の匂いが絶えず、人影がなくとも人の気配を感じる。僕はメッティーラ湖の水のなかに建つパゴダに行ってみた。百メートルはあるだろうか、岸から湖面すれすれの廊下のような木橋の参道を行くと、背後から木のきしむ足音が近づいて来て、半ばあたりで中学生くらいの少女ふたりに追い越された。同じカバンを手にしているところを見ると、学校の帰りのようだった。線香や花こそ手にしていなかったが、慣れた手つきで誰かさしていった花をいじるように整え、そっと座るとそろって手を合わせた。大人びた神妙な顔をしてパゴダを見上げ、どこを見るともなく見つめると眼を閉じて祈っていた。そして一言か二言、さきほど歩きながら交わした会話のつづきでもしているかのように、笑いながら立ち去って行った。参道を引き返す何歩かの間に、少女たちはおどけながらはしゃぎ、中学生らしいあどけなさに戻っていた。湖面を撫でる風が、片方の少女の長い髪を舞上げた。二人の白いシャツが午後の日射しに晒されて、その細い背中を眩しく感じながら、きっとこれが日常のありふれた光景にちがいと思うのだった。

***

仏陀はどこにもいた。 みんなのそばにいつもいる気がする。 首からぶら下げた金の小さなペンダントのなかにも鎮座している。 木製だったり石であったり、ときに金そのものだったりする。 そっと胸元に手を当てれば、ひんやりとしたペンダントが肌に触れて、 仏陀に守られている気がするのかもしれない。

いったい僕は何百体の仏陀を見たのだろうか。AMUDA(アジア医師連絡協議会)のスタッフに案内していただいた、セ・ゴーンという砂漠のなかにあるような村の寺院で20体、メッティーラの小学校で10体、病院で10体、アジア仏教徒協会が建立したパゴダに30体はあった。バガンではアーナンダ寺院やシュエジゴン・パゴダなどに5、60体ずつあり、その翌日に行ったバコーという町の、壮麗なシェーモード・パゴダには100体以上あった。どこの家にも何体かある。そして旅の最後に訪れたヤンゴンのシュエダゴン・パゴダは 壮麗かつ壮大な仏塔がそびえている。「見えますか? 上のほうは金箔ではなく、金の延べ板がボルトでとめてあるんです」チョーさんの声がして、仏塔を見上げるとタイルのように張られた金の板が ひとつ一つ数えられるほどの近さで見えた。 尖端には76カラットのダイヤとルビーがぶら下がっているという。高さ100メートル、敷地の周囲は何百メートルもある。夕暮れ時とあってヤンゴンの市民がお参りをしたり、夕涼みに散歩していた。人の声が絶えることがない。そこにも大小さまざまの何百体もの仏像が仏塔を取り囲んでいた。一体一体の仏像には眼がくっきりと描かれてある。だがそのどれも虚ろだ。どこを見るとも誰を見るともない眼差しを人々は仰ぎ見ている。仏陀のハートのゆくえをさがしているのだろうか。

僕は、かつての王の時代の、大仏の開眼式を思い出した。夜明けまえに王自身によって眼を入れられるのだが、王といえども、仏陀の眼を直接見ることが許されない。そこで大仏に背を向けて鏡に映した大きな眼を見ながら、後ろ向きに、そして腕をまわして自分の肩越しに筆を入れたのだ。 両の眼が開いた瞬間、王は鏡越しに夜明けの最初の日に照らされた仏陀と眼を合わせ、いっしょに仏陀が見つめる眼前の朝の光に満たされた風景を見渡すのだ。

ヤンゴンは暮れていた。パゴダのどこからかカラスの群れが飛び立ち、頭上を舞っていた。 僕は林立する仏塔のすき間でもうだいぶ欠けたであろう月をさがした。
(初出:『旅』2002年3月号)