Essay


  • ナムディン-ベトナムの農村

    自宅にいる間、いつもテレビを点けっぱなしにしてBGMのように見るともなく眺め聴いている。積極的にチャンネルを合わせて見るのはニュース番組ぐらいで、つぎつぎとチャンネルを変えながら同じニュースを繰り返し見ても飽きないのは、ドラマやバラエティー番組にはないナマのリアリティ、現実の断片に物語さえ感じるからだ。

    ひとを感動させようと終始媚びへつらうテレビドラマの空虚もニュースの合間にのぞき見れば、筋書きも消えて切れ切れの断片となり、あってもなくてもいいものとして見ることもできる。そんなふうにテレビを眺め、番組と番組の間を泳ぎ回っていると、ときとして思いがけない番組に出会える。

    続きをみる

  • 東京見物

    田舎からはじめて上京したとき、眼に入るもの何もかもが新鮮で、東京の街が光り輝いていたのを今も忘れない。空はいつも青空だつたような気がする。池袋の夜も新宿歌舞伎町のコマ劇場の前の噴水もネオンライトに照らされて、それを眺める自分の身体も赤く青く染められ、融けて街そのものになっていったものだ。

    アジアを旅することが多いためか、外国の友人といえばほとんどがアジアの人たちで、とくにタイの友人と交流がある。来日してくる友人には一応行きたいところを あらかじめ訊くようにしているが、皆が口をそろえて「デズニーランドに行きたい」というものだから、必ずつき合わされてしまう。

    続きをみる

  • ベトナム野菜

    日がまだ屋根にもあたっていない早朝から、ハノイの街角は活気に満ちている。物売りの足音が足ばやに過ぎてゆくと、細く甲高い別の声が追いかけるようにやって来ては、軒下の茶屋でお茶をすすってる僕に、「いかがですか」と同じようにつぎつぎと声をかけてくる。天秤棒を肩に麺やご飯、コーヒーやお茶など、朝食そのものを担いで、注文があれば路地の隅に荷をおろし、麺をゆでたりお茶を入れたりしてくれる。ふと振り返ると僕が座ってお茶を飲んでいるところも店ではなく、カゴを担いできたお茶売りのお姉さんだった。生タマゴ、肉、米、砂糖や塩などの調味料、それにさまざまの野菜が濡れたまま目のまえを過ぎてゆく。

    続きをみる

  • 私の鉄道の旅

    インドシナの赤い大地を削り、その赤い土を溶かして流れるためか、河はいつも紅く染まっていた。その名も紅河〈ホン河〉と言う。そこに黒々とした鉄の橋が架かっていた。十数年前、僕はボロボロのソ連製の軍用車でその橋を渡ったときのことを今でも鮮明に憶えている。ハノイのノイバイ空港から水田の畦のような土手を、のろのろと40キロほどの道のりを、2時間近くかけてハノイ市内に向かっていた。むき出しの赤土が遠く山の裾までつづき、輪郭も朧気に淡い夕日が暮れかかる夕空ばかりか、乾いたその赤土の水田をいっそう赤く染めて霞のように包み込んでいた。農作業を終えた農夫たちが、泥だらけになりながらも悠々と自転車を漕ぎ、途切れることなくその沿道に列をなしていた。売り切ったのか空になった大きな竹かごを天秤棒で担ぐ女たちも、飛び跳ねるように家路を急いでいた。

    続きをみる