書評:マイケル・オンダーチェ著『アニルの亡霊』(新潮社刊)

Essay

前半のかなりの部分が寸断されたような物語なので、ストーリーに沿ってつづられているのか、いないのか、わからない不安をかかえたまま夜の暗がりへ連れ込まれてゆく。あるときはその湿った夜の森の古代遺跡の遺構から、またはコロンボの埠頭に係留された船の船倉の暗がりから、登場人物が立ち現れては影を潜め、目まぐるしく入れ代わる。ときには山の石窟や菩提樹の大木の葉陰に姿を見せては消える。そこかしこに、ひたひたと忍び寄る暗闇と 濃密な湿度を感じないではいられない。まるで暗く湿った、むせ返るような部屋で投影された写真のスライドを見ているようだ。カチャ、カチャと音を立てながら写真が入れかわるように場面が変わり、時代が変わる。行きつ戻りつしながら変化しつづける。

一片の人骨の擦り傷から、数年まえの過去、そして古代の月の夜がよみがえり、スリランカから、瞬く間にパラボラアンテナが立ち並ぶアメリカのニューメキシコの眩い砂漠に飛んでゆく。そして何コマか見るうちに、眩んだ眼を慣らすように暗がりの職人の手を探して眼をこらす。そこでは白骨死体の頭部を復元している。サスペンスドラマのようだ。

つぎつぎと波が押し寄せてくる。しかしそのうちに、幾重にも堆積した泥の地層が溶け出して混ざり合い、やがて固まると岩になりひとつの島となって、物語が大海に浮かぶスリランカのようにくっきりとその姿を見せる。そこには島のそして国の歴史ばかりか、異民族間の激しい抗争のさなかにある、人間の絶望の淵が生々しく刻まれている。

1980年代の前半から10年間ほど、僕は頻繁にアジアを行き来していた。だがスリランカには未だ行ったことがない。いつも気になっていた国だ。バンコクでよく耳にしたのは〈宝石の島〉であることと、大学の理工系にスリランカ人がとても多いということだった。不思議なところだ。そのころ買ったガイドブックを引っ張り出してみると、新聞の記事のキリヌキが挟み込まれていた。1983年の大暴動以来、民族間の抗争が絶えず、内乱になっていることを伝える記事だった。そのときに一緒に買った島の地図もはさんであり、広げながらあのころスリランカ行きを断念したことを思いだした。

主人公のアニルがコロンボにやって来たのはまさにその内乱のさなかだった。そのころスリランカには南北の二つの勢力、つまり南部の反政府過激派と北部の分離独立を求めるゲリラがともに政府軍に宣戦布告をし、政府側もその掃討作戦を展開していた。「組織的な大量殺人」が行われているという世界各地の人権機構からの訴えが寄せられていた。アニルは女性法医学者として、その調査をするようジュネーブの人権機関から派遣されて来たのだった。15年ぶりの少女時代に過ごした故国への帰郷でもあった。「雷のように夜が明ける」感覚を忘れてはいなかった。

コロンボの考古学者で考古局のサラスとペアを組んでの7週間のプロジェクトはすぐに始まる。有史以前の遺跡がかつて見つかった高地のバンダーラヴェラ一帯から、三体の人骨が出ていた。アニルはそれを調べるうちに第四の人骨を発見する。古代のものではなく何年かまえの新しい人骨だった。謀殺の一つ目の証拠になりうる。「一つの村は多くの村を語る。一人の犠牲者は多くの犠牲者を語る」アニルは恩師の言葉を思い出した。その頭部を復元して身元を割り出すふたりの試みがはじまる。

ふたりは北部のドライゾーンへ、サラスの恩師である老学者のパリパナを探しに行く。樹海の奥深く、岩の上の木と石の遺構にいると闇がすぐそこにやってきて、井戸で顔と腕を洗うパリパナを見る見る包み込んでしまう。その暗闇の近くで動く獣の気配と遠くの銃声を聞きながら、誰もがパリパナの語りに引きずり込まれるだろう。そばで少女が火を焚けば、ふっと生臭い現実が浮かび、すぐにまたそこかしこの生の水の匂いにかき消されてしまう。そして得体の知れない暗闇がどこまでも追ってくる。

これは闇の中にふつふつとわき上がる死者の物語だ。夥しい数の死者の声がする。場所をかえ時を超えて語りかけてくる死者の魂をオンダーチェは鎮めようとしているようだ。記憶は暗がりのどこかで形作られているのかもしれない。

僕は開いた地図をあらためて眺めた。無数の貯水池や湖沼が点在している。仏教遺跡が連なる内陸の山間の、そのどこにパリパナがいるのか探した。美しい島のいったいどこに この暗闇と濃密な湿度が潜んでいるのだろう。

(初出:『文学界』2001年1月号)