ナムディン-ベトナムの農村

自宅にいる間、いつもテレビを点けっぱなしにしてBGMのように見るともなく眺め聴いている。積極的にチャンネルを合わせて見るのはニュース番組ぐらいで、つぎつぎとチャンネルを変えながら同じニュースを繰り返し見ても飽きないのは、ドラマやバラエティー番組にはないナマのリアリティ、現実の断片に物語さえ感じるからだ。

ひとを感動させようと終始媚びへつらうテレビドラマの空虚もニュースの合間にのぞき見れば、筋書きも消えて切れ切れの断片となり、あってもなくてもいいものとして見ることもできる。そんなふうにテレビを眺め、番組と番組の間を泳ぎ回っていると、ときとして思いがけない番組に出会える。

元旦の深夜、いつものように画面の中を泳ぎ疲れて、そろそろ寝ようかと思いながらもチャンネルを変え続けていた。すると画面いっぱいに〈ニャム〉という奇妙なタイトルバックが映し出され、背景にアジアの農村の風景がゆっくりとながれていた。ベトナム映画だ。画質とのんびりした時間のながれに一見してアメリカ映画のベトナムものではなく、ベトナム人によって制作されたであろうことがわかるのだった。

北部ベトナムのある農村の物語だと解説者がいっていたが、もしかしたらそこはナムディンではないかと僕は思った。井戸で水をくむ少女、田圃のあぜ道を歩く主人公ニャム、そこかしこにむき出しの土、ベトナムのどこにでもあるような農村のありふれた風景にナムディンの記憶が重なり、あっという間に引き込まれてしまった。ナムディンもベトナムの北部にある。

十数年前、僕が母をつれてその村にいったのは母の父、僕の祖父の墓参りをするためだった。ベトナム戦争が終結してまだ何年もたっていなかった。一族そろって花と線香の束を手に朝靄がたちこめる土手を歩いていったのを憶えている。見渡す限り青々とした水田が土手の両側にひろがっていた。まるでニャムが可愛がりいつも井戸で水くみをしていた少女が、学校の帰りにトラックにひかれて死に、葬るために墓地に向かう村人の葬列のようだった。
村はずれの水田のなかの小島のような中州に、夥しい数の土盛りが靄にかすむ彼方までひろがっていた。どの土盛りにも墓標すらなく、これで祖父の墓がわかるのかと訊こうとしていたら、叔父が土盛りの間を分け入って指を差し「ここだ」というのだった。叔母たちもまわりの土盛りの並びぐあいを見渡し、納得したのかうなずいていた。祖父はその村で螺鈿細工の家具大工をしていたが、フランスによる植民地支配に抵抗し、活動家となってハノイに出ていったという。やがて対仏戦争がはじまると追われる身となり地下に潜ってラオスを横切り、メコン河を超えてタイ領に逃れていった。そしてタイの田舎町ウドーンタニに住みつき、そこで僕の母が生まれ後に僕も生まれたのだった。

〈ニャム〉の映画同様、ベトナムのテレビドラマにも井戸の場面がしばしば見られる。井戸は生活の中心にあるだけにそこで語らい、ときに罵りあうことがあっても水に濡れれば最後には愛し合える。井戸そのものが物語の源泉だ。

何年か前にハノイの叔母の家を訪ねたとき、庭の共同井戸で若い娘が犬を洗っていた。茶色の子犬が、数匹たらいの中で濡れそぼっていたのでなにげなしに見ていると、近所のおばさんたちが次から次と子犬を数匹ずつ持ち寄って、井戸を囲むように洗いはじめた。いったいどうしたことかと聞いてみると、きれいに洗って売りに行くのだという。中国、特に北京ではペットブームで子犬が高値で取り引きされているらしい。それで中国との国境まで行って密貿易するのだ。列車で3日間の旅、皆そろって出かけて行く。しかし、高く売れるのは毛足の長い白い犬だけで、茶や黒い犬では見向きもされない。そこで誰が思いついたのか、それならば脱色してしまえということになって、近所の者が一致団結して〈水洗い〉、〈脱色〉、〈水洗い〉、〈乾燥〉とまるで写真の現像処理をしているようだった。僕も手伝おうと水を汲み上げながらみるみる白くなってゆく子犬の笑いにも似た鳴き声を聴いていた。それにしても、白いはずの犬が成長してもとの茶や黒い毛が生えてきたら、せっかく和解したのにまた中国人を怒らせ、いつかみたいにその国境から雪崩れ込んで来はしないかと心配してしまう。

午前二時、〈ニャム〉を見終えてまたチャンネルを変えるとカトリーヌ・ドヌーブがフランス海軍の将校に犯されている最中だった。これがあの〈インドシナ〉かとだらだら朝までみてしまったが、井戸も農民も出てこない。支配者と奴隷、そして広大なゴム農園、スケールばかり気にしているつまらない映画だった。
(初出:『東京人』)